ぼんやり

ねむたいあたまでいろいろと

2011.3/11

本当に怖かったです。
実は3/10.11とTDRに居ました。


以下、11日の覚書。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


朝ゆっくりめに起きて、朝ごはん食べて、BBB観て、タートルトークいって、お昼を食べて。

じゃーインディージョーンズ乗るかー、
なんて言ってスタンバイに並び始める。
歩いて最後尾で止まったか止まらなかったかそのくらいのタイミングで、
サトシが『何か揺れてない?』と一言。
インディーの辺りって、アトラクションの影響で
若干揺れることもあるけど、ちょっと様子が違う。

ほんとだー、何て言ってたら揺れが大きくなってきて、
サトシと二人ですぐにしゃがむ。
(この段階では、まだ余裕という表情で、まだ立っている人も多数)
しかしさらに揺れが大きくなり、すぐにキャストさんの
『座ってください!』の声掛け。

埋立地だから揺れる揺れる。

木が大きくしなって、電線は千切れそうなほど波打って、橋も波打って。


揺れが続いている間に、サトシにしがみつきながら
片手で両親に対しメール作成(サトシヒロコ無事)
揺れが収まった瞬間に送信。



アナウンスがあるまでその場で待機し、
その後インディーのファストパス発券機前の広場に移動。
通話はなかなかできないが、ワンセグ、メール、ネットは変わらず繋がったので、情報収集。
mixiでも皆さんに助けていただきました!ありがとうございます。)
閉口令が出ているためか、キャストさんから被害情報は伝えられず。
ただし、園内放送で余震の震度や、その後の動きについての説明はあり。

そのため、仕入れた情報もサトシと二人で共有のみ。(混乱を避けるため)
何人かは同じ様にワンセグ見たりしてたけど、
私たちと同じ様に、騒いだりせず、仲間での情報の共有のみ。


大きな余震も続き、酔い易いわたくしは真っ青だったらしく、
キャストさんに体調不良を訴え出る。
ただし、地震の影響で橋が渡れないので、
救護室へ行くことも決死の覚悟。
死ぬほどの体調不良ではないので、
人ごみから少しはなれ待機することに。

過呼吸もあるので、エチケット袋を貰い、休息。
キャストさんに色々話しかけてもらって
(隠れミッキーやグーフィーの話とか)
少しずつ持ち直す。


それから、
ショップ袋(大)
ゴミ袋(大)
タオル
アルミブランケット
カイロ
500mlの水
を支給してもらい、待機。


その間、屋内の安全確認をし、トイレの使用ができるようになり、
いくつかのレストランへの屋内退避へ。


18:00
わたくしとサトシはヴォルケイニア・レストランへ移動。
レストランの中も大混雑。
ただし、運よく二人が座るスペースを確保できたので、
アルミを敷いて座る。

その後、お菓子(売り物)の配布、
温かい飲み物(ウーロン茶、紅茶、コーヒー)の支給あり。
キャストさんの
『みなさーん!今から一人一つずつ、お菓子を配ります!
でも、誰が貰っていないか分からなくなっちゃうので、今の場所からぜーったいに動かないで下さいねー!』

みたいな説明あり。


なんていうか、すげえ。
さすがディズニーリゾート。



ホテルに荷物が置いてあったので、
そっちへ移動することも考えたけれど、
皆さんから頂いた情報と、
余震を考慮してそのまま動かないことを決める。

寝るためにダンボールを貰いに行く(サトシ)。
床に敷いて二人分の寝床を確保。
ダンボールはあったかいねー(笑)

外にいる人もいたけれど、自分の意思って言う人みたいで、
それ以外はキャストさんの声掛けで中へ。


23:30
1人1パックの温かいご飯(ひじきご飯)と再度飲み物の支給あり。
この時点で携帯充電ほぼゼロ。

余震に怯えながら、横になる。

交通に関する情報が入り口に掲示。(更新される度張り替えられた)


4:30
餃子ドッグとスープの支給あり。


7:00頃?
液状化により舞浜駅が使えないため、
TDRから浦安までバスによる輸送開始。
また、夜が明けたことで、歩いて都内まで移動を始める人多数。
公衆電話で実家へ連絡。

9:00過ぎ
バス乗り場への移動が落ち着いたため、
車での帰路を調べ、(サトシ携帯は電池有)
ホテルへと移動。


Seaの出口へ向かう途中、キャストさんにお礼を言いながら歩く。
笑顔で『いい旅を!』といつもの挨拶と共に大変でしたね、の言葉。
いや、キャストさんのほうが大変ですよ・・・


ゲートを出るところで、11日の分は来年3月まで使えることを聞く。
そこで自分はすっかり忘れていたけれど、
バースデーシールを身に付けていたので
『お誕生日おめでとうございます!笑顔でまた過ごせますように!
またいらしてください!』
と言葉をかけてくれました。

なんというプロ意識。

帰り際、ちょっと苦しかったが、呼吸が楽に。


それからランドホテルまで徒歩。

地面の隆起、陥没、液状化。
自分の目で見て、改めて恐ろしさと共に、現実なんだ、と実感。

ずっと震えが止まらなかった。


10:00
ランドホテル出発。
ホテルの中は、トイレが激混み。
でもバス運行の影響かロビーには思ったよりも人がいなかったかな。

湾岸線が使えないので、大井まで側道を進む。
大井PAでトイレ、お互いの実家へ連絡。

そのまま厚木の実家へ。

両親が大喜びで迎えてくれ、おいしい昼ごはんを作ってもらう。
やっぱりお母さんのご飯はおいしい。
運転していたサトシを気遣い、少し休息の後、平塚の実家へ。

顔を見せて、お茶を飲んでアパートへ到着。


厚木の実家は何ともなかったけれど、
サトシの実家は物が落ちたり、水槽がこぼれたり、停電したり。。。と被害があったからか、
散々姑が『家の中覚悟して行ってね』とか脅かすから、やや過呼吸気味。

意を決してドアを開けると、ほとんど出かける前と同じ。

本棚の上のリップクリームすら落ちていない。

違ったのは、ミニ脚立が倒れていたのと(普段から良く倒れる)
ぬいぐるみ一体が落ちていただけ。


安堵と姑への憤りを感じながら、荷物の片付けと、非常袋の点検をする。
普段から準備してあったけれど、持ち出しやすい位置へ移動。
夕食を購入のため、近くのスーパーへ。

ものがない。

この時点でものがない。

恐らく買い貯めもあるんだろうけれど、物流が止まってるみたいだった。


そんなこんなで買い物をしつつも震えが止まらない。
恐怖はもちろん、
TDRで自分の実体験と見たもの、聞いたものと、
平塚に帰って来てからの様子が、あまりにもかけ離れていて、混乱しているのもあったと思う。


何をしても落ち着かなくて、
エリアメールに脅えて、
2Fの物音(ちびっこが悪で暴れる)なのか地震なのか風の音なのか分からなくて、
今、この時間まで殆ど寝られていない状況。

眠いけど、寝られないって言う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



TDRではほんとに神対応をしてくれて、
ゲストは安心して過ごせたっていうのがすごい。
支給してくれるものはもちろんだけれど、声掛けが何よりも暖かかった。

キャストの中にももしかしたら身内と連絡取れない方も
いたでしょう・・・・

東北の方に比べればなんてことない例だろうけれど、
本当に怖かった。

津波の心配もあったし、
お台場は燃えてたし。


あれから数日経って
未だに殆ど寝られないけれど、

結婚式に来てくれたサトシの親族も、福島に住んでいる大事な友達も、
家は全壊してしまったけれど、皆無事だという連絡があり
少し安心しました。


ただ姑のいとこや同級生が亡くなられたそうです。

沢山の犠牲者の方へ、心からご冥福をお祈りいたします。


また、これから私たちが何ができるか、何をすべきか
やれることをやっていこうと思います。